84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その八

84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その八

2月に入り、またコロナ感染者が増えてきたので外出を控え、月に一度東京からきてくれる次女とは今年になってから会っていませんでしたが、今週末久しぶりに来てくれることになり、今回は何を食べようかとそればかり考えています♪

一人っ子ですし、両親とは離れて暮らすことが多かったので、子供の頃から一人は慣れているつもりでしたが、年のせいか、時々このまま一人で倒れたら…と不安になり、来てくれると聞くと心強いです。

私は絵を描くのが趣味で、一人の時はよく絵ハガキを描いています。携帯はスマホで、LINEは一応見るだけは見ますが、メッセージを打つことはなく、メールはしません。お友達はもちろん、家族にも便りはもっぱら絵葉書です。

新婚の頃は、夫とお互いの似顔絵を描き合ったこともありました。現在のマンションに引っ越してくるとき、その似顔絵を見つけて「幸せな新婚時代やねえ」と夫と長女と和やかに笑ったのに、執着のない私たちは捨てて来てしまいました。

さて、嫁いだ家の台所には灯油コンロが一つしかありませんでした。まずお釜でご飯を炊き、炊けたらお櫃に移して、おかずを作ります。食事の準備が整う頃にはご飯はすっかり冷めていて、今のように炊き立てのご飯なんて望めません。私はお嫁にくるまで食事をつくったことなど一度もありませんでしたので、嫁入り道具に土井勝さんの料理本を自分で買って持ってきましたが、残念ながら、そんな料理がつくれる台所ではありませんでした。

海が近かったので、魚屋さんが新鮮な魚をざるに乗せて天秤棒で担いで「ててかむいわし、いらんかえ」と言って売りに来ます。「手を噛むほどイキのよいイワシ」という意味です。同じ大阪でも私は町で育ったので、こういう風景は面白かったですね。

贅沢はできませんでしたが、隣の駅にあったお餅屋さんと知り合ったのをきっかけに、お正月のお餅をお願いしました。夫がこの辺りでは棒状のうる餅を食べたというので、年末に届けていただけるように長さ30cm×幅7cm×高さ4cmほどの棒状のうる餅を注文しました。お餅が届くと、夫が元旦にいただくお雑煮用に包丁で厚さ1cmほどに切って木箱に並べるのが大晦日恒例の行事になりました。だんだん町の人たちとも顔見知りになり、サザエさんに出てくる三河屋さんのようなお店ともご縁ができて、買ったものを家まで届けてくれるようになりました。

2年後、昭和34年に長女が生まれるまでは私も働いていましたので、食いしん坊の私としては、食べることだけはお金を惜しまず、自分が食べたいものを買って作りました。

舅は調理師免許を持っていて、魚を捌いてくれました。夫は家のことは何もできない人でしたし、会社勤めでほとんど家に居ませんでしたから、ネズミを退治したり、薪割りをしたり、お風呂を焚いてくれた舅は頼もしかったです。実の母は妹弟が7人もいて、私は一番下の妹くらいの年齢差でしたから、親子としての会話はほとんどないままお嫁に来ましたので、姑とはいろいろな話ができて面白かったですね。親戚のことや、舅と再婚する前の話など、夫の知らないこともたくさん聞きました。

戦争で未亡人になると、あの時代の女性が食べていくには再婚相手を探すしかありません。30代後半になっていた姑は持参金を付けることで再婚してもらえたそうです。たくさんのご縁が重なって、ここにいるのだなあと思うと、感慨深いですね。

年をとっても食いしん坊なのは変わらず、それはタローも同じ。そろそろ夕飯ですよと、タローが足元で私の顔を見上げています。

今夜は、息子が送ってくれたホタテでタロー相手に一杯やるかな♪

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